侏儒の言葉

青空文庫にて芥川龍之介の「侏儒の言葉」を読んだ。この作品ではトピックごとに芥川の主張がまとめられている。その主張を一通り読んだが、やはりこの人はひねくれてるなと感じる。キリストやブッダを人間として扱い、情愛に振り回されつつも情愛を軽蔑し、そして近づきつつある死の誘惑に答えようとする、そんな様子が見て取れる。この2年後の1927年に芥川は服毒自殺をしてしまう。
しかし、この作品は発想が凄く自由なところが良い。人は皆常識に振り回されているが、実はその常識にはこういう裏もあるかもしれないと提示し、読者の発想を引き伸ばしてくれる。
しかし芥川が自殺したくなる気持ちも分かるよ。1925年に治安維持法が改正され、思想の取り締まりが厳しくなる一方だし、1931年には満州事変が起きてるだろう。
小林多喜二もこのころ活動していたが、彼が獄中死したのが1933年だ。彼がこのまま生きていたら、特高に捕まるか、戦争に駆り出されるか、そうでなくとも自分を抑えて生き続けなくてはいけなかっただろう。
けれども彼が知りうることができた後世の事象、例えば人々が生きる事より水を飲む事を選んだ原爆のある一場面、そして戦後の日本経済の勃興など、もし生きていたら彼の思想が証明される事象をその眼と耳で確認できただろうにと残念に思う。

I read a book named, "Words of an atomy (Shuju no Kotoba)" written by Akutagawa Ryunosuke. In the book, there are thoughts of the author about many topics. I thought the author is an opposite person but his opinion streches our thoughts. Two years after releasing the book, he comitted suicide. Reading the book, I may understand why he died. Because in Japan, all thoughts are becoming restricted at that time and the next world war was comming. He may be happy because he could have whole his life as he wished.