人の感覚は一様ではない

人がある事象に対して感じる感覚は一様ではない。例えば、ある音楽に感動する人がいれば雑音に聞こえる人も居る。例としてハードロックがあるだろうか。また、ある絵画を美しいと思う人が居れば気持ち悪いと思う人もいる。この例では性的・グロテスクな絵画が該当するだろう。
これは他人同士だけではなく自分自身についても同様だ。同じ事象に対して感じる「楽しい」、「悲しい」、「面白い」などの感覚というのはその時々によって変わるものだ。人の感覚というのは例え自分自身の感覚であったとしても当てにならない。だから感情は行動指針の基盤にすべきではなく、行動は感情から離れた客観的な事象に基づいて決定すべきだ。
そして私が言いたいのは、ある事象に対して感じた負の感情「辛い」「つまらない」「疲れる」というのも信頼すべきではないということだ。その時に感じた負の感情は、またある時には「楽しい」「面白い」という感情に転化する可能性を秘めているのだから。
例えば勉強。勉強=「つまらない」というのも常に成立するとは限らない。いつか長く続けているとある時にそれを「楽しい」と思う時がくるかもしれない。感情に従い、来るべきその時に勉強しなかった事を後悔するよりは、今のつまらないという感情に従わずに勉強を続けていた方が、きっと幸せになれるだろう。
だから、うつで生きるのが辛いと思った時にも、その感情に従うべきでは無い。きっといつか生きていて良かったと思う時がくる。今の自分の感情など信じるべきではない。人の感情なんて本当に当てにならないのだから。

I think we shouldn't rely on our feeling. Our feeling changes each time even when we met the same thing. So we shouldn't follow our feeling in making decision. We should follow objective facts around us in that case.