苦しみから逃れる方法

だから苦しみから逃れる方法として自ら命を断つというオプションがもちろん存在する。それについては宗教では否定され、古くから人は自ら命を断つべきではないという前提のもと、生きながらその苦しみから逃れるすべについて研究されている。仏教ではこの世の中を「一切皆苦」という言葉により生きる自体が苦しみであると規定し、その解決策を紹介している。
苦しみからの解決策は主に2つある。一つは「苦しみを苦しみと感じないこと」、そしてもう一つは「苦しみの発生要因を無くすこと」である。
前者で主張してることは、苦しみと感じるような事象が発生しても、それを苦しみと感じる心のトリガを掛けるなということであり、仏教ではそれを「諦め」と定義している、結局苦しいと感じるのは、苦しみを感じなかった時に得られる利益に執着しているから感じるのだ、だからそもそもその利益への執着を諦めれば苦しみは感じなくなるという論理である。
よく修行僧が滝にあたったり寒い中で座禅をしていると聞くが、この修行というのは自ら過酷な環境に身を置き苦しいという気持ちをわざと起こさせ、そしてその感情を苦しいと感じないようにする訓練なのであろう。
そして後者の主張は、そもそも苦しみは利益に対する欲が満たされないから起こる。だったら欲自体無くせば苦しみも無くなるだろうという論理である。しかし人は人である限り人の営みの源泉である欲を完全に無くすことは出来ない。仏教でもその認識が取れており、欲を無くそうとするのではなく、できるだけ小さくしましょうという意図の「小欲知足」を提唱している。欲が小さければ苦も小さく幸せな生活が送れるという論理である。仏教国家であるブータンは幸せの度合いを示すGNH(Gross National Happiness)が世界一でとのことだが、彼らは畑とラジオと最小限の生活器具だけで、毎日家族で畑仕事をして生活しているらしい。お金、物、名誉などの欲自体が無いから苦しむことも無いということをまさに実践している。

In religions, there are substantial research about the way of being free from pain. In Buddhism, they are suggesting to abandon our wish because our wish is the cause of pain.