現代語訳 学問のすすめ

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

言わずと知れた慶応義塾創始者福沢諭吉の著書。今の時代でも通用するとても有用な情報が沢山書かれていて驚いた。100年以上前から書かれている有用なことは、つまり100年後も有用だということだ。なのでこの本に書いてある情報は非常に価値が高い。現代語訳していただき感謝である。とても心に響いた言葉を以下に抜粋させて頂く。

もし、官の事務が簡単で、民間の事業よりも利益が多いことがあれば、その利益というのは、実際の働きに対して多すぎるというべきである。働き以上の利益をむさぼるのは、君子のやることではない。
能力も技能も無いのに、運がいいいだけで官の仕事について、みだりに給料をむさぼって、ぜいたくをし、それでいて、軽い気持ちで天下国家を語っているような者は、われわれの仲間ではない。(P62)

上の文章の「官」を大企業、「民間」を中小企業に置き換えると今と同じだな。本来利益は実際の働きに応じて得るものだ。しかし今の世の中、多次外注で不労所得を掠め取る構造が横行している。低賃金で長時間労働を強いられる方がいる中で、対して働きもしないくせに高給を得ている人たちがいる。今の世の中で問題なのは、この働かずに高給を得る生き方が礼賛されていることだ。本来彼等は否定されてしかるべき存在のはずなのだ。

男子が成長して、(就職、結婚、子育てといった、よくある人生のイベントの具体例を挙げて)並以上の働きをした立派な人物のように言う。けれども実際はこれは大きな間違いではないのか。
この人はただ蟻の弟子というくらいのものなのだ。生涯やったことも、蟻を越えることができない。衣食を求め家を建てるときには、額に汗したこともあっただろうし、悩んだこともあっただろう。古人の教えに対しては恥じることは無い。とはいえ、その達成したことを見れば、万物の霊長たる人間としての目的を達したものとは言えない。
以上のように、一身の衣食住を得てこれに満足するべきだ、とするならば、人間の生涯はただ生まれて死ぬだけだ。死ぬときには、生まれてくるときと何も変わらない。世に公共の工業を興すものも出ないし、船もできないし、橋もかからない。自分の身と家族のほかには全部自然まかせで、その土地に人間が生きたという証を遺すこともないだろう。
ある西洋人は、「世の中の人がみな小さいところで満足していたならば、今日の世界は、それがはじまったときから何も変わっていなかったに違いない」と言っている。まさにそのとおりだ。(P119)

ステレオタイプに沿って生きることの批判である。ただ恋愛して、仕事して、結婚して、家族を作って、子供を育てて、という人生は虫けらでも出来るのだから評価に値しないとばっさり切り捨てている。これには大変感銘を受けた。

学問をするならおおいに学問をすべきである。農民ならば、大農民になれ。商人なら、大商人になれ。学者ならば、小さな生活の安定に満足をするな。粗末な着物、粗末な食べ物、暑い寒いを気にせず、米もつくのがよい、薪も割るのがよい。学問は米をつきながらでもできる。人間の食べ物は、西洋料理とは限らない。麦飯を食って、味噌汁をすすって、文明のことを学ぶべきである。(P138)

流行に振り回されてファッション、グルメを志向する生き方を否定している。後どんな形でも学ぶことは出来るとも主張している。学校や研究所に入らなくても学ぶことは出来るのだ。インターネットで必要な情報を誰でも取得出来るようになった現代は特にそうだろう。

怨望が流行して社会を害した最大のものは、わが日本の封建社会にたくさんいた大名の御殿女中である。御殿の概略をざっと述べればこうなる。無学無教養の婦女子が集まって、無知無徳の主人に仕えている。勉強したからといってほめられることもなく、なまけたからと言って罰せられることもない。(中略)
このような世界の中にいれば、喜怒哀楽の感情も必ず変化して外の人間社会と違ってこざるを得ない。(中略)仲間をそねみ、主人をうらやむのに忙しければ、主君の家のことなど思っているヒマなどない。(P170)

私が知るところでは大企業の正社員一般職OLがそうだった。一般職は頑張っても評価されない、頑張らなくても給料は同じなので堂々とサボるし大声で雑談して仕事の邪魔になってしょうがなかった。しかし数年前から一般職の正社員募集は無くなり、派遣社員に入れ替わったのだが、契約打ち切りというリスクを抱える彼女等は、正社員一般職より真面目で熱心、仕事中に私語は慎むと非常にクオリティの高い仕事ぶりだったのが思い起こされる。

また、世の中では、「貧民救済」などといって、その相手の人物の良否を問わず、その貧乏の原因を考えず、ただ貧乏な有様を見て、食料や金を援助することがある。身寄りがなく頼る相手がいない者に対しては援助ももっともでるけれども、五升の米をもらったら三升を酒にして飲んでしまう者もいるのだ。禁酒の指図もできないのに米を与えるのは、指図が行き届かないところに度を越した保護を与えるものだといえる。(P187)

物乞いにただ金を与えては駄目だという話。この話はベーシックインカム反対論にも通じるだろう。生活能力が無い人にベーシックインカムで金を与えても競馬やパチンコですぐに使い切ってしまうだろう。だから金を与えるだけでは駄目だ。ベーシックインカムの代わりに生活困窮者には食べ物や衣服を現物支給し生きるすべを教えるという形にした方が良いということだろう。住居も集合住宅を用意してあげると生活困窮者の生活が保障され治安も良くなるだろう。

I read the book "Recommendation of studying (translated by modern Japanese)" the original author is Yukichi Fukuzawa. The book is originally written about 100 years ago but I was surprised that the information is still useful in modern society. It will be useful even 100 years later.