自己の客観性と哲学の重要性

最近よく思う。肉体というのは生まれ育った家庭環境や出身地と同じようにこの世に生を受けた時にたまたま自分に備わっただけのものであると。つまり自己の本質は肉体とは別にあるのではないか?例えば入力Aに対してBとCが同一条件だった時にBだと判断するもの、それが自己の本質ではないか?それを精神と呼ぼう。精神は肉体と密に繋がり、そして肉体は痛い、寒い、嬉しい、不愉快といった感覚を分泌物を経由して精神に伝える。これらの感覚は単に精神に対して判断材料を与えているだけのものであり精神そのものではないのではないか?この考え方を自己の客観性と呼ぼう。
そして自分が幸せに生きるにはこの自己の客観性が必要ではないかと感じるのである。何故なら感覚が精神に訴える内容は、悲しい、もういやだ、酷い、続けたくない、などネガティブなものが少なくないからである。その感覚に精神を委ねて幸せでいられるか?それは難しいだろう。
このことについては遥かソクラテスの時代から先人達が同様の事を考え哲学という分野を切り開いた。先人の知恵から学ぶ必要があるだろう。

Recently,I often think that a spirit is independent from a body. And a body transmits an affection to a spirit by a secretion. So an affection itself is not a spirit. That what I want to say. The similar ideas are thought and developed as tne field of philosophy by many forefathers. I should learn from them.