勉強は大事
以下のブログは非常に興味深い。メモ。私もエリートは勝手に育つという言葉を聞いたことがあるし、森毅の著書も高校時代に読んだことがある。私は当時は、自分は大学にお情けで受かった人間なので、自分は勉強しないと申し訳ないと思い、北山通り沿いの資料館の自習室に通っていたな。当時は周りの学生のリア充っぷりが羨ましかったし、卒業した後もあれで良かったのかと悩んだ日々もあったが、今はそれで正解だったと思う。あの頃があったから今ここにいる私がいるのだ。
(以下、引用) そんなときに、森が著書の中で 「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリートは勝手に育つもんだ」 と主張していたのに、救われた気がした。 それまでは頑張ろう。そして、大学では遊ぼう。 そう考えて頑張った結果、大学では、早慶クラスの、名の通った大学に入った。 大学では、遊びほうけていた。 とはいっても、それまで遊んだことのない人間の遊びなんてたかが知れている。 授業をさぼり、漫画喫茶で一日を過ごし、友達とくっちゃべって一日が過ぎていた。 遊ぶ、というより、勉強をしない、といった方がいいかもしれない。 大学を卒業してから20 年、そのことを非常に後悔している。 地頭の悪い奴こそ、勉強しつづけなければならない。 高校までの受験勉強で学んだ知識が、実生活で生きる訳ではない。 若い頃に「勉強して、知識を記憶にたたき込み、それを応用する」という習慣をつけるために、 受験勉強というものはあるのだ。 だから、高校まで勉強をつづけた後、大学ではそれ以上に勉強することが必要となる。 本当に自分がやりたいことを模索して、選択して、一心不乱に勉強する……それが大切な時期なのだ。 頭が悪い奴ほど、勉強の習慣を崩してはならないのである。 ただですら、怠惰に流れがちなのだから。 私は、貴重な4年間を、彼の思想の影響を受けたせいで無駄にした。 彼の言葉は福音だと思っていたが、なんのことはない、怠惰な人間に、「それでいいんだよ」と 甘い言葉をかけていただけなのだ。 悪魔の言葉だった。 彼に影響を受けた私は、勉強の習慣を失い、未だにダメサラリーマンをつづけ、うだつがあがっていない。 どのような人間を師匠とするかが、いかに大切なことだと、今になってわかる。 彼の言っていることは、元々地頭のいいエリート向けの言葉であって、それ以外の9割の 頭の悪い人間にとっては、地獄への一里塚だった。 彼にとってみれば、受験教育のために潰されそうになっている1割の人間を救うために、 書いたのだろうし、彼の本を読んで影響を受けた1割はそれで救われたかもしれない。 だが、9割は社会から脱落していったのではなかろうか。
I continued studying after entering university. At that time, I envied other students, who are playing around. But now, I think that my selection was correct. The memory of my university days is the basis of mine today.