雑記

  • 今日は木曽川のサイクリング場のある公園に子供と行ってきた。補助輪付きの自転車を初めて乗ったが、想像以上に上手に乗って驚いた。5分くらいで終わるかと思っていたら1時間以上子供が自転車に乗り続けて疲れた…。以下近場の展望台とその上からの風景。


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  • 太宰治の「斜陽」を青空文庫で呼んだ。貴族が没落していく話だから斜陽とあるが、今見ると斜陽どころか主人公は後半からメラメラ心を燃やし、不死鳥のごとく蘇り、強く生きていく決意を持つように感じた。太宰はチェーホフ桜の園の日本版と称していたようだが、その実態は風と共に去りぬスカーレット・オハラ的なものなのではないだろうか?確かに死んでいくものはいたが、その死に対し悲壮感は見えない。むしろ戦う決断ののろし的なもののように見える。あと太宰作品に引き付けられるのは何か?と思うと、やはり凡人には体験できない世界を垣間見せてくれるところでは?と思う。きらびやかな東京、華やかな貴族階級のたたずまい、麻薬&精神病の世界、当時の流行りの左翼思想、革命の世界、芸術に対する教養…、そういった凡人には手の届かない世界を体験できるところが太宰の強みだろう。
  • 告白の手紙、、あぁ、、書き手の思いは分かる。読み手の思いも分かる。返事をしない思いも分かる…。そりゃ返事は来ないだろうな…。過去の痛い思い出が頭に浮かんでくる…。
  • あと最後に触れられていた「姉さん僕は貴族です」の言葉には素敵な響きを感じた。人間失格もそうだが、悲劇の根本にあるのは孤独なように思う。当時は我を通すと集団に入れず孤独に生きざるを得ない。孤独を解消するためには道化を演じざるを得ない、けどその道化を演じきれない自分というところで悩んでいたのだろう。今の時代はインターネットで同じ思いの世界の人たちが繋がることが出来るようになり、そういった孤独の人たちが繋がることが出来る可能性が大きく上がってきた。恐らく太宰も主人公の家族も、現代に生きていたとすれば、生きる選択肢を見いだせていたのでは?と思う。

It was the first time for my son to ride on a bicycle but he rode it so well..